皆さん御機嫌如何ですか、永岡ともよしです。関東から北の地域では寒暖の変動が激しいので、体調管理には十分にお気をつけ下さい。さて今回のお話は舞台上で展開される演劇の内容ではなく、空間それ自体、要するに器である劇場に関する記事になっています。先ずは今から16年前、1992年秋に閉館した大阪の有名劇場の「その後」から始める事にしましょう。
JR大阪駅からも程近く、阪急電鉄の巨大ターミナル・梅田駅を核とした繁華街があります。その一角に梅田コマと名付けられた劇場が建っていました。その抜群の立地から、関西で行われる大型興行の中心を担っていましたが、時を経て老朽化し、別名称を冠した後継劇場を得て、開場36年で最後の日を迎えたのでした。
新たに誕生した地上30階を超える高層ビルは、ホテル・オフィス・劇場の区画から成り立っており、地下に設けられた収容人員900人弱の中ホールが「シアター・ドラマシティ」、そして大ホールには「劇場・飛天」の名前が与えられました。やがて興行上の理由から改称され、「梅田コマ」の名は復活しましたが、残念ながら営業成績は芳しくなかったのです。
2つの劇場は、母体であった阪急によって買い取られて、「梅田芸術劇場」と呼ばれるようになりました。地下のドラマシティは名称変更されずに残りましたが、1900人を収容する元「飛天」・元「梅田コマ2代目」は、単なる「メインホール」になってしまいました。音響設備の改修も施されて、再スタートを切ったのが2005年の4月でした。
この売却→模様替えが発表された時点では、コマ・スタジアムが所有している東の劇場「新宿コマ」は黒字を保っていると言われていました。しかし新宿も収支は悪化して、遂に2008年5月28日に年内での閉館が明らかになったのです。同時に隣接する映画館などが入ったビルも役目を終えて、歌舞伎町は大きなシンボルを失う事になりました。
「新宿コマ」の地下には、小ホール「シアターアプル」と映画館「新宿コマ東宝」があり、同時に消える隣のビルでは洋画系の主要館「新宿プラザ」が営業しています。「ゴジラ」シリーズはコマ東宝で、「スターウォーズ」はプラザで鑑賞してきた私にとって、両映画館の終焉だけでも想いは深くなるばかりです。もちろん劇場ビル全体が積んできた実績は、1人の言葉で語り尽くせるものではありません。
東京には1ヶ月単位の興行を基本とする商業劇場が幾つかありますが、収容能力の面から代表的な4劇場を挙げられると思います。銀座・日比谷地区にある「歌舞伎座」「帝国劇場」「東京宝塚劇場」そして新宿・歌舞伎町に君臨してきた「コマ劇場」です。これらの中で、コマだけが取り残されてしまったのは残念でなりません。
近年現在30代以下の若手が注目を集めて、歌舞伎の人気は低迷を脱し上り調子にあります。伝統ある帝劇はミュージカルの複数月公演も導入して、数々の定番人気演目を抱えている状態です。宝塚は数年前ほどの好況ではありませんが、今の建物に改築して以降、順調に観客を集めての通年興行が続いています。
それに比べて公演内容の見直しに出遅れたコマ劇場は、演歌系歌手の皆さんを座長とした芝居+歌謡ショウの興行が弱体化の一途を辿り、新劇場建設の目処を立てられませんでした。1956年に開館し50歳を超えた劇場は、もう次の器を必要としていたのです。長年の歌手座長公演依存が、劇場を新しい時代に生まれ変わらせる道を閉ざしてしまいました。
演歌=日本人の心、などという幻想を刷り込まれた人は多いでしょう。しかし将来を読み取るべき興行界の人間が、そんな作られた常識に胡坐をかいていてはダメでした。戦後、洋楽系・クラシック寄りの音楽的素地を持たない地方出身者が都会に溢れました。その人たちに合わせた大衆音楽が、演歌に行き着いたのです。つまり、子供時代から地域を問わずに最新の音楽に触れられるようになれば、支持者は減少していく運命を背負っていたのでした。
だいぶ横道に逸れてしまいましたね。かつて名前に反して東京宝塚劇場が劇団専用ではなかった頃、宝塚歌劇もコマで公演していました。最近でもOG公演は実績があって、現・星組娘役トップの遠野あすかさんは、2度に亘る『シンデレラ』へのゲスト主演が存在感を大いに高めました。数々の伝説を生んだ偉大な劇場が、後継の計画も無いままに消え去るのは、悔しいと言う他ありません。2千席が別に確保されれば済むような、そんな簡単な話ではないのです。
テーマ : 演劇 - ジャンル : 学問・文化・芸術
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