御機嫌如何ですか、永岡ともよしです。本当に実現するのか怪しい気もしますが、いよいよ一般国民参加の裁判員制度が1年後にスタートします。これに絡めて今回は普段から硬い私のブログなのに、更に硬度が数倍増になりますので、軽くなきゃ
×という方は此処までで退出をお願いします。でも全員に関わる問題なので、1分でも考えてもらえれば私は嬉しいです。
私を含めて、このブログに出入りしている人の9割以上は、衆議院議員選挙の有権者だと思いますので、殆どが裁判員に選ばれる可能性があると考えられます。中高生さんでも、家族が選ばれたら無関係ではありませんよね。単純に抽選方式のようですから、制度が永く運用されるのであれば、知人や身内に1人は経験すると思っていた方が間違いないと言えるでしょう。
参加に対しては消極的な意見が多いようですが、私は頼んででも加わりたいと思っています。現行の法律や司法制度を認めている以上は、いま下されようとしている判決も、実は私たちが「それで良し」と判断しているのと同じなのではないでしょうか。それならば、代理人である職業裁判官だけに任せるのではなく、私自身の意見を主張して責任を果たしたいと考えます。
裁判員制度が適用されるのは、一定以上の重大な刑事事件に限られます。身代金目的の誘拐や傷害致死、殺人などの罪が問われる裁判ばかりです。そうであれば、改めて「死刑」についても自分自身の捉え方を見つめ直す必要があると思いますので、次に私の考えを述べておきます。批判は歓迎しますので、分かり易く節度を保った表現でコメント投稿して下さい。
先ずは結論を。私は死刑に反対です。理由は簡単で、死刑を認めるという事は、所定の手続きに従って処理されるのであれば、自分が殺害される事を許します、と宣言している事に他ならないからです。自分ではなく、親しい誰か(家族や友人)に置き換えてみても同じですね。幾ら正式な段取りを踏んだとしても、自分や身近な誰かを殺しても構わないなんて、私は絶対に言いたくありません。
こんな風に展開していくと必ず出てくるのが、「遺族の気持ちを考えろ」という論調です。もし家族の命を奪われたら、私も相手を呪い恨み続けるでしょう。でも肝心な点を皆さん忘れていませんか。遺族の存在が罪の重さに直結するのなら、身寄りの無い人の生命は大家族の一員より軽いのでしょうか。それでは、「ホームレスなら暴行しても可」と言うのと同じでしょう。
少子化が進んで、しかも未婚率が高くなっているのですから、祖父母や両親が去った頃には、姉妹兄弟は無く、従姉妹・従兄弟さえいない、会った事さえ無い遠い親戚がいるだけの人が、今後は大量に出てくるでしょう。泣き叫ぶハズの遺族など、最初から何処にもいない人が、社会のあらゆる層に存在する時代になりつつあるのです。合理的な判断材料には出来ませんよね。
最後まで読んで下さった皆さんに、心から感謝します。次回は軽い内容の記事にしたいと思っていますが、何しろ書いている本人がガチガチに硬い人間ですので、隠そうとしても地は覗いてしまうものです。いつか美味しそうな夕食の写真でも載せられる日が来るのを夢に見つつ、今回の自分史上最硬記事を仕舞っておきましょう。お付き合いありがとうございました。
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